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平成まで生きた女医の生涯・8

23章 晩年

ミチは圭介が留学を終えてドイツから帰るのを楽しみにして暮らしていた。
二年後啓介は帰国して、母校の大学で教鞭をとることになった。この先ずっと大学で研鑽を積み不動の地位を積み上げていくことになったのである。

圭介が結婚し孫が生まれた頃には、ミチは70代になり仕事を退いていた。
圭介の結婚相手は大学時代に知り合った音楽大学出身の女性で、ミチの若い頃の面影によく似ていたこともあって、好意を持ち付き合うようになっていた。名前は優子といい、音大ではピアノ科を専攻していた。後に優子は二人の女の子をもうけた。優子は明るい性格でミチにとても親しんでいた。

折にふれ圭介夫婦はミチと連絡を取り、事あるごとに実家へ足を運んだ。
ミチは孫の美有と玲を目に入れても痛くないほど可愛がった。ミチは幸せだった。


ミチの穏やかな老後の暮らしはずっと続いた。元の職場の看護婦達が訪ねてきて、色々身の回りの世話をしてくれることもあった。また職場のOB会と称してミチを連れ出し、現職当時の話に花を咲かせたりもした。

一方医専卒業後、ずっと付き合いが続いていた女医の友人達との交流も頻繁だった。地方の名産を送り合ったり、手紙のやり取りをしたり、時には遠方から訪ねてくる来る友人もいた。
多くの温かい交わりの中、ミチは時々体の不調を感じることがあった。調子が悪くなった時は、懇意にしている医師の病院に入院して治療を受けた。
「最近どうも不整脈が出てるようでね・・」
といえば、即
「うちへ来ますか。先生の為にいつもの部屋を空けて待ってますよ」
元病院の同僚の息子である医師は、いつもニコニコしてミチに入院を勧めた。時折体調不良で入退院を繰り返したものの、独り暮らしをすることに何ら不安はなかった。


24章 入院

圭介は日課のように毎日母に電話をしていた。その声がなんとなく寂しそうなのが気になり一度帰って元気付けようと思った。
高原へドライブでもしないかと誘う圭介に、ミチはそれまで患っていた腰痛が大分良くなっていたので同行することにした。爽やかな7月の高原は緑が一面に広がり心地よく、久しぶりに外出したミチは疲れた様子もなく圭介が運転する車の後部座席でとてもうれしそうな顔をしていた。圭介はやっぱり帰ってきてよかった、自分の顔を見てげんきになってくれたミチを見て圭介もまたうれしかった。

ミチにとっては楽しいドライブではあったが、腰痛がおさまったばかりだったので少々疲れもした。そして数日後、再び腰が痛み始めた。

「圭ちゃん、腰の痛いから先生の病院へ入院するわ」
「入院するんだったら、しばらく優子をこちらに滞在させるよ」

ミチは痛みはあるものの、いつも通りの軽い気持ちで、いつも準備している入院用具を入れた箱を持って入院した。箱の中には着替えの他に、財布と化粧道具の袋が入っていた。
馴染みの病院での入院生活は至極快適で、若先生の朝夕の見回りの時には冗談を言い合っていた。

しかしこれまでは数日の治療で回復し帰宅していたが、今回は次第に痛みが激しくなり毎日痛み止めを打たざるを得なくなっていた。入院して10日ぐらい経った頃ようやく回復の兆しが見え始め、いつになく陽気なミチはベッドの上に起き上り、自分で箸を持って夕食の病院食を食べていた。その状態を喜んで見ていた医師や看護婦も面白おかしく笑い合っていた。

――圭介がふとミチに目をやった、そのとき。
何となく、ミチの様子がおかしい!
それを察知した圭介が医師に言った。
「先生!母が痙攣を起こしてるように感じるんですけど」
たしかにミチはぴくぴくと顔がひきつっていた。
その急変を見た医師は血相を変えすばやく総合病院へ連絡し、病棟内は騒然となったのである。間もなく救急車が来て、ミチは近くの総合病院へ搬送された。病院に運ばれたミチには直ちに痙攣を止める注射が打たれた。ミチの痙攣は次第に治まりうとうとし始めた。
圭介はずっと傍に付き添ってミチの状態を見守り続けた。


25章 彷徨

平成の夏。
ミチは病院の脳外科で意識も定かでなくこんこんと眠り、時々目を覚ますような日々が始まったのである。
総合病院は完全看護なので家族の付き添いはできなかったが、圭介の上京後もあとに居残っていた優子は日に何度か病院に来てミチの身体を拭いた。冷房は入っていてもぐっしょり汗をかき、タオルで拭くとつるりと皮膚の皮が剥けた。

入院してから4ヶ月が過ぎ、正月が来た。
優子はベッドの脇に、花屋から買ってきた餅花を取り付けた。
(*餅花とは柳の枝に色とりどりの丸い玉をつけたお正月用のお飾りのこと。)

ミチは目が覚めると顔を上げ、餅花の玉をきょろきょろ目で追った。優子は少しでも知覚を高めようと、
「おかあさん、これ、何色かわかる?」と一つの玉を指すと、
「ホワイト!」ミチは大きな声で言った。

「これは?」と優子が聞けば、
「グリーン!」
ミチはなぜか、玉の色を英語で答えた。
意識がないかのように見えていたミチは、優子の指差す玉の色を全部言い当てることができたのである。

見回りに来た看護婦が餅花を見て言った。
「これ、いいですねぇ~。私も飾りたいな・・・」

入院して暫くすると担当の看護婦達はミチが医師であることを知っていた。
「しっかりした方だったんでしょうけど、今は可愛いおばあちゃんって感じですよね~」

ミチはおとなしくてとても可愛い患者だった。
総合病院へ移される前に入院していた病院の医師が時々ミチの見舞いにきた。
「なるべく早く口から食べさせたほうがいいですよ。流動食だけでは退院しても体力がなくて歩けなくなりますからねぇ~。僕が病院と交渉しておきますよ」

それまでは鼻からチューブを通して体内に栄養食を注入していたが、病院の計らいで早速少しずつ食事が出るようになった。病院食はすべてすり潰してあったが、一匙ずつ食べさせるにはかなりの時間がかかった。

圭介は帰っている間は病院を何度も覗いて、自らの手で流動食を一匙ずつゆっくりミチの口へ流し込んだ。圭介はミチのことを元気な時よりずっと可愛い人だと思えて何でも言えるような気がした。
幼い頃ミチが自分に言ってくれたように、「好きだよ、お母さんのこと」
圭介が言うとミチは「私も好きよ、圭ちゃんのこと」と応えた。


二時間毎に担当の看護婦達が回ってきて、床ずれが起きないように体の向きをを変えた。
はっきりと意識のない状態でベッドに繋がれて寝ている患者には、看護婦が昼夜を通して時間ごとに回って来る。

圭介は仕事の方では融通がきく地位にあったので、度々帰省し母に付き添う機会を持った。この先ふつうの食事ができるようになれば、体力がついて退院できるような気がした。
なんとかこの寒い冬さえ乗り切ることが出来たら!
春がきて桜が咲いたら、おかあさんに桜をみせてあげたい。桜が好きだった母を車椅子に乗せて、満開の桜並木をゆっくり歩く・・・そんな情景を思い描いていた。
圭介は母の回復を心待ちにしていたのである。


最終章「9」へ続く・・





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