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結婚という足かせ

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photo by 写真集 足成

この短編小説は投稿サイト「時空モノガタリ」のコンテストテーマ『結婚』に応募した作品です。



「願えるものなら・・」日出男の独り言のような呟きが裏山の草叢にちょこんとふたりで並んで座った慶子の記憶からいつまでも消えることはなかった。その年の夏休みは思いがけない出来事で終始したのだ。

 慶子21歳。高校を卒業と同時に入学した大学へ通学することもなく退学を余儀なくされた。母の希世子は慶子が毎日家でぶらぶらしていることに焦りを感じていた。
「新しい専門学校ができたそうよ。受験してみたら?」との希世子の誘いに、これまで動きだそうとしなかった慶子の気持に変化が生じた。次のステップに踏み出そうとして身体が付いて行かないことに慶子自身もイライラしていたのだ。

 これまで色々な願書を取り寄せて慶子の目に留まる場所に黙って置いておくというのが希世子のやり方だった。洋裁学校の入学願書、事務職の願書。その度に慶子は希世子に逆らうこともせず、一応は願書を出し試験を受けた。だが合格通知が来ていざというときになるとどうしても出れない。緊張して頭が痛くなるのだ。

「やっぱり無理……、お母さん」意思と身体が引っ張り合いしているような、自分ではどうしようもない結果に終わってしまうのだった。
 だが今回の慶子の意思は固かった。大学を退学後初めて受験して入学し、栄養学校に通学することができたのだ。栄養学校には制服が決められていた。学内以外で制服を着ていると町の人の奇異な眼が留まる。「あの制服よく見かけるわね。どこの学校なの?」慶子はまだ知名度のない学校に通っていることが恥ずかしかった。
 
 栄養学校では二年目の夏から立て続けに現場実習が始まった。小学校や工場、病院の給食の実習である。実習期間はそれぞれ二週間ずつ、自宅から遠い工場での実習は泊まり込みだった。身体が本調子でない慶子はプライドの持てぬ栄養学校の実習をすることは精神的にも身体的にもハードだった。病院の実習として選んだのは市内にある精神病院だった。唯一うれしかったのは、実習に通うのに私服を着ることが許されていたことだ。

 精神を病んでいる患者たちが入れられている病室に給食を運ぶのは実習生の役目となった。初めてみる独房では患者らが鉄格子にしがみついて若い実習生が廊下を行き来するのを見ていた。慶子は内心恐怖心で一杯だった。看護士は若い大男ばかりでそのことも慶子の恐怖心を煽っていた。昼休みになると、慶子たちも患者と同じ給食が当てがわれて食べた。休み時間には病院の中庭を散歩することもあった。軽度の症状の患者は病室から出て広場で作業をしていたが、慶子は彼らのことも警戒していた。

 その日慶子は病棟からすこし離れた所にある事務室の中庭を見て回っていた。
「きみ、実習生なのかね?」背後から優しい口調で話しかける男の声がした。
「はい、そうです」そう答えながらも慶子は胸がドキドキしていた。
「休みの日に映画に行かないか」男は明るい声で誘ってきた。慶子はなんの躊躇いもなく、はい、と返事してしまった。あのとき映画に行くことも彼が自宅へ来ることも断っていたら、悲しい別れを味わうことはなかった。
 彼は結婚のことを仄めかしていた。『願えるものなら…』彼のその言葉は慶子に彼の妻になる空想を抱かせていた。男の面影は慶子の奥深い所にインプットされ、30歳に結婚したあと子供ができてからも消えることはなかった。
 
 慶子が結婚したのは高校の同級生芳樹だった。芳樹との暮らしは本来ならうれしいはずの新婚生活を味わう間もなく子供ができて、その後諍いが絶えない家庭になっていた。その度に慶子はかつての男の夢を見た。男は夢の中で慶子に優しかった。彼には奥さんがいて子供も二人いると風の便りに聞いていた。『もしも私があの男と結婚できていたら…』慶子は夫の芳樹と激しい言い争いをする度にそんなことを夢想するようになっていた。

 彼と別れた後、破り捨てたアルバムの写真。きっと自分が渡した写真もこのように炎の中で消えて行ったのだろうと思った。
 
 あれから15年経っていた。子供を送って幼稚園に行った時、パパになった日出男も子供を送り迎えしていることを知った。たまに子供を連れてきている彼の奥さんの顔を見る機会もあった。町で彼女を見かけると慶子は幸せそうな奥さんの後ろ姿を見送った。

 そして25年が過ぎた。
 慶子が還暦が過ぎた或る日、日出男から電話を受け取った。日出男は若いときに慶子の元を去ったいきさつに触れようとはしなかった。「自分が弱かったんだ」彼の懺悔のような言葉を聴くたび、人は男も女も結婚という足かせがあり、それはどうあがいても取り外せないものだと悟った。

 結婚とは人生の足かせ。良い思い出もそうでない思い出もすべて自分に与えられたものだということも――。



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