
ここ数日胸が痛むような心境で過ごしていて、そういうときなるべく考えないようにしているのだが……。
家人が亡くなったときも、どうしようもない気持をどこへ持って行けばいいのかわからず、そのことを思い出す度にさっと気持を切り替えるようにしてきた。
人の心というものは、安定剤を飲んでも誰かに訴えてもそのことが心から消えるまではすっきりすることはなく、死ぬかと思うほどのぎりぎりまで行ってしまうが、極限の状態になるとふしぎなもので、それ自体よりも、ここで死んではなるものかと頑張る自分に変身するものだ。
こんなことを書くと、読者は何事が起きたのかと驚かれると思うが、人に言えばもっと大きな気持でいたらいいでしょと言われそうだ。
とても小心者なので、こういうことがある度にこんな状態になる。
そして大体が何かの喪失感から発することが多い。
大学生の時年下の女の友達との間でもこういうことがあった。
どうも人を喪失するということに過剰に反応して、将来どうなるかもわからないのに、即マイナス思考に移るというのは、私の幼い時の母への執着から来たトラウマではないかと思う。
小学生ぐらいになっても、誰かが家に来るとあと追いして離れなかったと、当時を知る年上の友達やよくしてもらった先生が言う。
だから、そういう気持は大人になっても尾を引いているようで、ネットで親しくなった人にでも、去られるというのが非常にこたえるのだ。
後で良い結果になることも多いのにその時は死にそうになるほどの気になる。
こんなきもちはひとにはわかってもらえないだろう。
もしそんな人がいたら、私はわかってあげられると思う。
小さい時に喪失感を経験をしていない者は、他人に対して死ぬほどのパニックにはならないだろうと思ったりする。
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