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目指している心境

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photo by S.Hashizume


これまでずっと自分以外の親しい人達がとても安定しているのをみてきて、心の中まではわからずとも側から見た限り羨ましい気がしていた。

女性の友人でさえ、あまり内面を露わにする人は少なくて、実にさらっとしていた。
自分がそういう友人を選んで付き合っていたというふしもあるのだが……。

私にはそういう人らは喜怒哀楽さえないかのように、いつも穏やかに見えた。

その反面、自分だけがいつもやたら色々な思いがごった返していて嫌だなあと思っていたのだが、そういう湧き上がる感情をとめることができなくて厄介な自分をもてあましていた。

何事に於いてもふつうから上でも下でも凸凹は心を刺激し、しんどいものだ。
うれしいことがあればそれが終わったときの虚しさがあり、哀しいこと寂しいこと恐怖なことなどはそれ自体がちくちくといつも心を刺激する。

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何かクリエイティブなことに挑んでいる人たちにとっては、そういうことが効果をもたらすこともあろうが、私のようなふつうの者にとってはそういう刺激は意味はなく、いたずらに憂い気持をもたらすだけだ。

いかにそれらの凸凹を失くして平らな心でいられるかが、長年の念願であった。


最近少しそういう平らな気分が感じられるようになっているような気がする。

色々ある凸凹の中でいちばんもてあましていたのは、「執着心」だった。

特に人に執着する気持は相手との温度差を感じて情けないなあと思いつつ、いちど嵌りこんだらそこから気持を切り変えることができずにいた。

仏様ではないのでいっさいの執着から解き放たれるのは無理だろうが、ほんの少しでもそういう気分を味わえたときはしあわせだなあと思う。




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子供が学校へ行くことを拒否していたころ、自立への道を教えるテキストを読んで知ったことがある。

それは基本的に「自由」と「温かい環境」以外にはないということだった。

*なにかに縛られた環境から自由という空間に解放してやる、*温かいきもちで包んでやる。


私の家族はみなが一体になってそういう環境作りに努力していた。

そうしている内に次第にほぐれていった未熟な子供の頑なな気持……。

そして長い年月を経て、自ら自分探しの旅を始めたのだ。


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大人でも同じことがいえる。

なにかに束縛され愛に飢えている環境の中では、たとえ理論を学んだとしても真なる心の安定は得られない。いつも凸凹の感情に苦しむことになるのだ。

満足のいくまで愛情が充たされていれば人を恋うて執着することもないだろうし、束縛を受けていなければびくびくして何かを恐れることもなくなるだろう。


これまで私がふしぎに思うほど平らな心を持っていた友らはみなそういう環境にいたのだろうか。
私自身とは温度差があるように感じていたのもそのせいなのだろうか。

異常に人を恋うることも、怒ることも妬むこともなく暮らせる日がすぐそこに来ている。
まことに喜ばしいことである。






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