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そんなもん

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http://www.flickr.com/photos/hikonosuke-i/

主がいなくなって、自分の気持が日ごとに「透明」に向かって近づいているような気がしている。
言い替えれば喜怒哀楽にコクがなくなっているといったらいいのだろうか。

決してわるい方向に向いているわけではなくて、言い知れぬ不安や刻々身に迫る変化にドキッとすることがなく、ずっと同じうすい感情と体調の日々が流れている感じ……。

時が経てばそのうすい感情にこれからいろいろな色が付いていくのだろう。



以前何ごともないのになんとなく先に明るい光を感じていた頃がかなり続いていた時期があった。

なにかがあってそういう気持が湧いたというのではなくて、なにもないのになにかしら……、である。

そういう状態が自分としては一番いきいきとしている精神の在り方のように感じる。



いま日常生活の中に少しずつそういうものが戻っているような気がしている。
おおいなる幻覚にも似た有頂天や愛などが冷めて行く感じでもあるから、一度にすべてを消してしまいたくはない。

でも本当は何だったのかなと、自分の実態を知ることも大切ということだ。


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これまで他人から忠言とも思われることを言われたことがあった。

自分にとって言われているその時には心地よくはなかった。

いまそれらのいくつかの言葉が思い出される。



その反面、うれしいことを言ってもらうとその時はとても幸せになる。
それはそれでよかった。

自分の状態がとても落ち込んでいる時期はそういう言葉で支えられてきたのだから。


また自分だけが自己満足していた奢りだってある。

相手にとっては私のそんな気持なんて吹けば飛ぶような軽いものだったかもしれないのに自分が支えていると勘違いして、つまりはそれが自分自身の支えになっていた。


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自分にとってうれしいと思われる言葉が良くないことで、自分には痛いと思われる忠言が良いというわけではないとおもう。

本当のことだからとづけづけ言われて傷ついて私にとって一番苦しかった主の死の直前にひどいことを言われて、長年の交際を絶った人がいる。
何かにつけ内輪の話をしていた親しい友達だった。

今思うと、親しいから、本当のことだからと、相手が傷つくことをストレートに言うことが友情とは私には思えない。


私は言葉で癒されようという弱さがあるから、後から考えてみるとその場かぎりの言葉だったと思えるような言葉もある。
その言葉を思い出すと今でもじーんと来る時があるのだが、そういうのはやはり過去の幻影だけのことで、おかしなことなのだろうか。

だったら、そのときどきの会話の意味は何なのだろう。

言葉は瞬時に消えるものなのだから、それをいつまでも思い出しているということが情けないことだとしたら、私は実に情けない人間ということになる。

そんなことがぐるぐると頭の中を巡ることが多い。


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世の中では、日々の生活が忙しく細かいことを考えないことが偉い人で、いつまでも思い出したりすることをくだらないと蔑むような傾向があるようだ。

そういう人達は私の言うことに対して、自分はあまり深くは考えないから……、と得々としてかわすのだ。


自分が思っていることをあまりこまごま他人に話さないほうが賢いと、最近は思うようになった。

こういうことは自分の頭のなかで思っていればいいことなのだ。


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