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私とつながる人

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59歳で主が倒れるまで、生活の大切なこと何もかもを主に頼って暮らしていた。
私のやることといえば、家事の他に母や子供のことを気遣ったり世話したり、自分のことではグループ活動や音楽などの趣味を楽しんだりしていた。

当時は腹が立てば怒りそれを受け止めてくれる主と母がいて、子供が他所に行ってからは残った家族三人の生活の中に安穏としていた自分が居た。



主は停年の一年前に重度の脳梗塞で倒れ、幸いにして寝たきりにはならず自分のことはやれるようになったが、脳はかなりいかれていた。

でも主導権はとりたがるので、外との交渉も恥ずかしい思いをしながらも主を表に出して、これがわが運命と思い、ご迷惑を掛けた人には内心済まない気持を持ちながら暮らしていた。


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その間、私は母からも主からも大切なことを任されるようになり、受け継ぎの練習をさせられた。

つまり生活上で必要な事務処理の特訓をさせられたということだ。

母は自分の大切なものを仕舞っている金庫の開け方の練習を私に何度もさせた。

というのは、母は肝心の金庫の鍵を何段階にも分けていて、まるで襖を次々あけて奥の間に入るように、次はここ、次はここと開けて最後に金庫の鍵があり、その鍵で金庫を開けるというややこしい手間をしていたわけだ。

何億というお金があるわけじゃないのに、それが母の周到なやり方なのだった。

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主はといえば、まず税務署に行って申告をしてみようね、とこの時は至極優しく丁寧に指導してくれた。
二年目の確定申告は私が最初から準備して自分で行った。

そもそも私は全国友の会に入会していて、その仲間では自分が確定申告をしているという人がかなりいたので、そのことを話したからだ。

何年か経ったころ、主は言った。

――もう自分が居なくても何でもできるようになったね……、と。

事実なにもできなかった私は、ほとんど何もかもできる人になっていた。


だから主が倒れた時点では、母からの受け継ぎも主からの言葉の指令もすべて楽々とやってのけられた。

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だが……。

傍にしっかりした脳を持ち合わせている者がいないというのはなんとも心細かった。

娘達もまだその頃はすっかりは自立していなくて心配も尽きない時期だった。

主がなにも頭では考えられないようになってから、私は自分に知恵と力を与えてくれる人を求めるようになっていた。



幸いそのころ私はネットの世界に入った。

その中で、現実では知りえない人達との出会いがあり、色々な知識をもらった。
フレンドと言える人達は、私にとっては知恵をもらえる人だけでよかった。

だから私には他の人たちが架空の世界で会話を楽しむような交流はごく少ない。

なにかを教えてくれる人、それは私が今現実で生きる上で必要な人と言える。


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勿論知識だけではなく、心の栄養をくれる友達も私には必要な人たちだ。

10年あまり経った今では娘達も社会的に大人になり頼れる存在になった。
なにかあればまず自分に相談して……、とまで言う。
私が詐欺にひっかからないようにとの危惧だろうが、まだそんなに老いぼれてはいないつもり。


私は身体が弱いので医者(病院)に囲まれ、呆けていないしっかりした人に囲まれていると幸せな気分になる。

そういう環境の中でとろとろ溶けていく蝋燭のような……か細い自分である。


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