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2014. 03. 29  
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群青3月の課題
漢字一文字【春】をテーマに書いた作品



ながいながい冬だった
寒暖を識別できないほどに
暖のないながい冬

せめてもの一つの灯りを
身を削って点せたのは
一年三百六十五日の
何分のいちほんの一瞬


芽吹いた金茶色の若葉と
ぬるい微風が私に囁く
はやく心の扉を開けなさい
ここに春が待ってるよ

春を感じ掌に乗せてみる
春に向かって微笑んでみる
わたしと一心同体の春なの
去りゆく冬と迎える春の狭間


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2014. 03. 27  
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来し方これまで、その原因はさまざまだけど、今の精神状態と同じことを何度か経験してきた。

人と話しているときや何かに熱中している間は忘れているけれど、家で独りになると、今日一日じっと抑えていた傷みがふたたびむくむくと顔を持ち上げてきて胸が痛くなる。

そして今回も又頑張って行かねばと、自分の心に鞭を打つ。


これまで時間的には長短があるけれど、どんなことでも乗り越えられないことは一つもなかった。
心の闇は日なち薬だと人は言う。

誰がどんなに愛情を注いでくれたとしても、本質的な事実への悲しみが心内から消えるまで悲しみはつづく。

でも人は辛いこと苦しいことを乗り越え、少しずつ回復して生き延びれるのだ。



今浮世は桜が爛漫。

今日の昼下がり、友と桜並木の下をぽつりぽつりと人生論を語りながら歩いた。心地よい気流が身体中を走り抜けた。
こうして元気で生きていて桜が眺められるだけでも幸せよね、とお互い自分を労わるような言葉を共有した。

一見悩みは消えたかの如くに思えた。


だが帰宅してパソコンに向かって座った時、元の状態に戻っている自分を感じた。

しかしこのような楽しい時間を少しずつ過ごして、負の感情から離れて行くのを待つしかないのだ。

お花見に付き合ってくれた人、私のわがままな暴言を鷹揚に赦してくれた人……など、私にとっては実にありがたい存在だ。

意味不明な溜息を付き、その言い訳のように、人生とは悩み多きものよね、と言って笑われた。

そういう人らに助けられて気が紛れ、私はまた再生して生き延びるだろう。

2014. 03. 25  
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ここ数日胸が痛むような心境で過ごしていて、そういうときなるべく考えないようにしているのだが……。

家人が亡くなったときも、どうしようもない気持をどこへ持って行けばいいのかわからず、そのことを思い出す度にさっと気持を切り替えるようにしてきた。


人の心というものは、安定剤を飲んでも誰かに訴えてもそのことが心から消えるまではすっきりすることはなく、死ぬかと思うほどのぎりぎりまで行ってしまうが、極限の状態になるとふしぎなもので、それ自体よりも、ここで死んではなるものかと頑張る自分に変身するものだ。

こんなことを書くと、読者は何事が起きたのかと驚かれると思うが、人に言えばもっと大きな気持でいたらいいでしょと言われそうだ。

とても小心者なので、こういうことがある度にこんな状態になる。
そして大体が何かの喪失感から発することが多い。


大学生の時年下の女の友達との間でもこういうことがあった。

どうも人を喪失するということに過剰に反応して、将来どうなるかもわからないのに、即マイナス思考に移るというのは、私の幼い時の母への執着から来たトラウマではないかと思う。


小学生ぐらいになっても、誰かが家に来るとあと追いして離れなかったと、当時を知る年上の友達やよくしてもらった先生が言う。

だから、そういう気持は大人になっても尾を引いているようで、ネットで親しくなった人にでも、去られるというのが非常にこたえるのだ。
後で良い結果になることも多いのにその時は死にそうになるほどの気になる。

こんなきもちはひとにはわかってもらえないだろう。

もしそんな人がいたら、私はわかってあげられると思う。

小さい時に喪失感を経験をしていない者は、他人に対して死ぬほどのパニックにはならないだろうと思ったりする。

2014. 03. 24  
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けっしてそういうことが上昇志向ではないと思うのだけど
仕方なくやり場がなくそういうことになったというわけ

そこにいるふたりはどちらも
自分ではどうにもならないことを抱えて
悲痛な思いをしていた

どちらかが元気なときには
殊勝なことを言って慰め
一方は瞬時やすらぐ

でもこういうことは初めてだったけど
元気がないとメールすれば
自分も元気がないと傘マークの返信がきた

お互いもたれ合ってもどうしようもないのに
どちらも何かにもたれたいという
自分のきもちをどうにかしてほしいという

神に祈るような思いを相手に訴えることで
少しだけ心を軽くしている

この先いいことあるんだろうかといえば
きっとあるよ、きっとなどと
一方は訳の分からぬ言葉で慰める

みのりのない会話かもしれないけれど
お互いにこういう相手も必要なんだということ
弱い人間同士の糸のもつれ

2014. 03. 21  
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誰かのブログの冒頭に、
「もう仕組まれた疑似体験なんていらない……云々」と書かれていた。

ブログ作成者の意図はわからないが、私はわたしなりに、同じことが言えるなと思った。

そうだ、もうそんな絵空事の遊びは飽きた、充分なんだ。

対人間にはそういう落とし穴がある。

だからそういうことを考えだしたら、人間との付き合い方も考えなくちゃいけない。

それぞれが自分なりに真剣に考えたら、自分に一番適した相手が見つかるだろうし、それが人間でなくても、犬でも猫でも、植物でも、もっと他にあるならそれでもいい。

心にすきま風が吹かないように、心を充たしたい。

ただそれだけのこと。

でもそれが難しいのだ。