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2013. 01. 25  
群青1月の課題
漢字一文字【 望 】をテーマに書いた作品



人は希望を食べて自らの生命を維持している。
この先何一つ希望がないと知った時、生きていけるだろうか。

現在わたしの家には介護を必要とする家族がいるが、只今入院中。
病人はこの十日ほど何も食べたくないと病人食をすべて拒否していた。
入院のきっかけになった梗塞も溶けて手もすぐに動くようになったし、治療といってはこれ以上することもなくなったのでと転院を勧められているが、食べないのなら回復するすべもない。

たしかに一日中ベッドに横になっていたら食欲もなくなるだろうけど、食事が運ばれてきた瞬間、いらない!というには少し訳がありそうだとわたしは感じた。

それまで完食していたものが、あるとき突然何も食べなくなったということは、本人に先の希望が見えなくなった瞬間があったのではないだろうかと思った。
或る意味、精神を病んでいるにちがいないと判断したのだ。

わたしはあまり優しく対応する性格ではないので、それを根本的に変えるのは難しい。
でも理性で考えて何か良い方法はないものかと思った時、家に帰れるようになれば楽しいことがある、と本人が考えることができれば、生きて行く希望が持てるのではないかと思った。

対応は今まで通り淡々としていても、本人の心に希望を与えるような事象を伝える、それぐらいはわたしにもできそうなこと。
少し食べても、褒める。
たった一つのお椀のうどんを食べて、あとは箸をつけなかったとしても、
「うどんが全部食べれたね」という。

あれもこれも食べないか、とか一切勧めない。
もういらないと言ったら、すぐに片付ける。
この数日、こんな具合でやっていたら、あの皿のは何?食べてみようかなと果物も食べた。

昨日より少し食べれたね。食べれるようになったらリハビリをしっかりして、歩けるようになったら又前のようにドライブにも行けるね。多分あとしばらくしたらそうなると思うよ、等々……。

おとといの夕食時、若い看護師が来て、食べなかったら点滴も効かなくなるよと脅していた。
病人は、それはあんたが決めることじゃないだろう、と言い返していた。
看護士はぷいっと出て行った。

進歩した一つ一つを褒めると先への希望が生れるのは、子供も大人も同じだ。

――それらはすべて希望へいざなう愛によって導かれる。

ネットのサイトやコミュでも、ここにいても希望がないと思ったとき、やめようかという気になる。
誰も振り向いてくれなくなったコミュ、サイトでひとりぼっちでいるほど人は強くない。
集団での「シカト」は、本人の希望を失わせる最たるものだ。













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