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2012. 12. 06  
群青12月の課題
漢字一文字【 遊 】をテーマに書いた作品

人が生きる上で「遊び」が大きな役割をするというのは人生半ばを過ぎて感じたことで、今では以前にも増して、「遊び」がいかに人格形成に影響するかを実感している。
但し世間で言ういわゆる「遊び人」の意義と、私が意味する「遊び」とは全く別のことを指す。

 人間の生活に於いて、やるべきことは大体決まっていて、その中に遊びの部分は入れなくてもいい、と思われるかもしれない。

 私は思春期から娘時代にかけて、学校生活でも日常生活に於いてもそんな気がしていた。結婚して、その後子供が生れて育てる時も、その考え方が尾を引いていたように思う。
一日の内、為すべき必要な事柄をきちんとこなしていれば子供は立派に育つ、との考え方で子育てをした。

 うちの二人の娘たちは、子供同士では結構遊んでいたらしいが、私との接触の過程で「遊び」を満足したことはないのではないだろうか。

 朝起きてから為すべきことをさせ、帰宅してからは生活に必要なことをせかし、夜になると脳の形成に良いからと早々に寝かしつけた。


 海水浴にはかなり再々連れて行ったが、それは海水が皮膚を鍛えるから風邪を引かないと聞いていたのが、海水浴に連れていく動機だった。

 親子で楽しく遊びたい。私自身がこの子たちと遊ぶのが楽しい。と、そんな気持ちで私自身が楽しんでいたら、子供の心にいっぱい楽しい思い出が詰まっていっただろう。


 私は中年になるまでそのことを随分悔やんでいた。
私自身が楽しめなかったことが、子供の心を「楽しめない」状態にしてしまったからだ。

 私はとても焦った。
何とか子供が喜ぶことをしてやろうとあらゆることを考えたが、何をしても楽しくない、何かもっともっと楽しいことがないと元気になれないと子供は言った。

 抑圧された心が楽しめるものは何もないのだ。


 私が小学生のとき、母が一緒に遊んでくれたことで思い出すことがある。
毎日出勤し夜遅く帰ってきていた母は、忙しい時間を縫って宝塚歌劇やその頃は珍しかった神戸博覧会に連れて行ってくれた。
 
一度しかない思い出なのだが、母がおはじきの相手をしてくれたことがあった。その時のことは今でも覚えている。ぴかぴか光る大きなガラス玉でおはじきをしたことだ。二人きりで住んでいたアパートの狭い畳の部屋で、母と遊んだその光景は、今でもありありと目に浮かぶ。


 兄弟姉妹のいない私は、友達と遊んで楽しかった記憶があまりない。
関西から戻って田舎で暮らすようになったとき、近所の子沢山の家庭の友達から意地悪をされたことの方が鮮明な記憶として私の頭の中にある。

 
現在私には八歳の孫が一人いるが、私の娘は休みの日には子供と二人でよく遊びに行くらしい。中でも私が感心するのは、孫の気持ちに喜びを与えられるような遊びをさせ、かつ娘自身も共にそれを楽しんでいることだ。
 
都会ではなかなか動物が飼えないので、動物と一緒に遊べるレジャーランドとか、今年は来日したバレー団とオペラを観に行ったらしく、孫は吸い込まれるように目を凝らして楽しんでいたらしい。
この間は粘土クラフトへ友達も一緒に連れて行き、クリスマス用のクラフトを作ったとの写メを送ってきた。

娘は私より子育てが上手だなと感心している。そしてそのことがとてもうれしい。
私自身は子育てが下手だったけど、その子供が母親になって子育て上手というのもふしぎな気がする。

 勉強は二の次でいいから、うれしい遊びをたくさん経験させることが、幼い子供のこれから先の人生にしっかりと根強い元気の源を蓄えることになるだろうと思っている。





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