FC2ブログ
2012. 09. 18  
その1

わたしの名前は氏家鞠子。
これから昔むかしの記憶を紐解いてふしぎなお話をお聞かせしましょう。

私が梨子さんと出会ったのは大学に入学した初め頃でした。
18歳の時音大のピアノ科を目指していましたが、突然の病に倒れ、その後数年経って実家から近い大学の英文科に入学しました。

最初借りた家は市内の大通りにあり、神経がまだ過敏だった私は車の騒音で眠れなくなりました。そこで入学早々一時的に近くの病院へ入院し、大学で知り合ったばかりの女性に電話して次の貸間を探してもらうことになったのです。


その時に私が一間借りた家の娘梨子さんのことに少し触れてみましょう。

梨子さんは1m60cmほどの身長で丸顔、黒目がちの瞳、明るくて温かい雰囲気の女性でした。会った瞬間からお互いに好意を持ち、私達はすぐに親しくなりました。私より一つ年下でしたが数年前に同じ大学の短大部を卒業していたので私よりずっと大人びていました。


その家には私の他にもう一人、下村さんという女性が部屋を借りていました。
下村さんは学部を卒業した後も礼拝のオルガニストとして居残っていて、毎日大学へ通っていたようでした。

度の強い眼鏡をかけ、いかにも神経質そうな顔つきをしている彼女は年齢よりはるかに老けて見えました。初対面の時から私は下村さんに違和感を抱いていましたが、彼女には色々な面でお世話になりました。

まず長い間離れていた勉強だったので、当初から英語ばかりの授業に戸惑い、誰か教えてくださる人はいないものかと相談したとき、韓国人の男の先輩を紹介してもらいました。
その後学校側に交渉して私をチャペルの奏楽者の一員に加えてもらえるように配慮したりして下村さんはそれなりに私に誠意を尽くしてくださったのだろうと思います。


でも、わたしには一つ嫌なことがありました。
それは梨子さんのことを色々と私に告げ口をしてきたことです。
私にとってはそのことがとても不愉快でした。

梨子さんはくったくがなく気軽に私の部屋にきて、私が予習をしている傍で寝っころがってくつろいだりしていました。
「鞠子さんは勉強家やなあ、いつ来ても勉強してはるわ」といつもそう言いながら、さびしがりやの私を勇気付けたり笑わせたり・・

下村さんがどんなに梨子さんのことを悪く言ってもそれは私の頭を素通りして、私は梨子さんとは親しくしていました。同級生はかなり年下だったので、梨子さんの存在は私にとってはとても心強いものだったのです。
梨子さんは定職には付いていなかったようですが、時々家を空けて出かけることがありました。
彼女の母親である家主の女性は元教師ということでしたが、私が入居した時には退職していていつも奥の部屋に座っていました。梨子さんとは義理の間柄だったらしく、母子の仲は微妙でした。


その2

そのころ私は体が弱かったので、学校の勉強をするだけで精一杯でした。
部屋にはいつも布団を敷いていて、時々横になって休みながら勉強をする状態だったのです。

翌日の予習をしていないと全く講義が理解できないので、知らない英単語の意味と発音を辞書で調べたり、翌日の予定のページの内容のあらすじを把握して講義に出ていました。

いつものように梨子さんが私の部屋に来て、すばやく私の布団の中へもぐりこみました。
「鞠子さんも寝えへんか、こっちへ来てみ」と私を誘いました。
その年代の女の子同士は他の友人でも一緒にお風呂に入ったり布団に入って話したりしていたのです。

私が梨子さんの傍に横になったとき、梨子さんは「こっち向いてみ、わたしどっちでもええねん」何のことだろうと思いましたが、ちょっと不審な気がしたので私は勉強を始めるふりをして起き上がりました。でもそのことは何のことはなく、私達は夕方散歩をしたり、いつもどおり部屋で話したりしていました。


一方で、下村さんは私が梨子さんと親しくなるのがやりきれない様子で、次第に私を追い詰めてきたのです。有ること無いことを大学の先生達や友達に振れ周り、入学早々私は先生方の注目を浴びるようになりました。

体育の先生は妙に優しくなり、言葉をかけて下さるようになりました。
下村さんの上司である年配の女性の教授には私も宗教学の授業を取っていたので気を遣っていたのですが、この先生も次第に私を個人的にいたわりの目で見て下さるようになりました。

法学の先生には研究室に掃除に来てほしいと頼まれ「君。下村さんと何かあったんだってね」とおっしゃいましたので、何か聞いておられるんだなとピンと来ました。

「は?はい。まあ・・」とそれぐらいしか答えることはできませんでしたが、先生はそのことについてもっと聞きたいような顔をしておられました。

下村さんが学内でどのように私のことを話しているのか実情はわかりませんでしたが、先生方が私に好意をもって下さるその理由は納得がいきませんでした。
私は勉強をして通学するのさえやっとなのに、入学早々飛んだ災難に会ったという感じでした。


その3

梨子さんと私は夕方になると散歩をしていたことがありました。
そのころ何かの記念に大きな小判ほどのメダルが市販されていて、私はそのメダルを誰からもらったのか忘れたけれど、一つ持っていました。

「そのメダルちょっと貸してみ」と梨子さんに言われて私はメダルを渡しました。
話に夢中になっていたのでメダルのことはすっかり忘れていましたが、後になってメダルの事を思い出した時には、メダルは私の手元にはありませんでした。



大学では休みがちな私も一定の体育の単位を取らなければいけませんでした。
正規の授業を休んで足りない分、プレイデーとして山登りやソフトボール、水泳などに参加すればまとまった単位を取ることができました。

水泳の授業を受けることになったときのことです。
私は水着と赤と白の縞模様の大きなバスタオルを買いました。
その授業を終えて家に帰り、水着一式を玄関の上がり段の隅に置いた記憶があり、そのことを後になって気がついた時には手元にありませんでした。



或る晩、下村さんが薄暗い土間にある五右衛門風呂に入っていたときのことでした。
梨子さんと私はよもやま話をしながら、焚き口に薪をくべていました。

或る日私は一枚の紙切れが風呂場の前の土間に落ちているのを見つけました。
大学の誰かに渡そうと思って書いたであろうと思われる下村さんのメモでした。

そのメモには私と梨子さんの名前が書かれてあり、私たち二人が釜の火をどんどん焚いて自分を焼き殺そうとした、と書いてありました。
彼女は怒りのあまり妄想の域に達していたと思われます。


その4

そういうことが重なって気味が悪くなった私は急いで別の貸し間を探すことにしました。
そのころは不動産で部屋探しをするということもなく、知合いに頼んで部屋を見に行き承諾してもらえたら借りるという状態でした。

何の心の準備もなくあたふたとその家を出ることになった私を手伝ってくれたのは、その頃仲良くしていた正子さんでした。二人で荷物を一気にまとめ、誰も居ない時間帯を見計らって引越しました。

引越した先の家は80歳前のお婆さんが独りで住んでいました。
「台所使ってもええからな」と言われ、私は自炊をすることになりました。

大学に入る前に私は栄養学校を卒業していたので自分の食事を作るには困りませんでした。
毎日私が食事の支度をしに台所に立つと、お婆さんが出てきて「何作っとるんや」と覗きに来るので、必ず一皿お婆さんにもあげることになりました。


そそくさと出てきたあの家の梨子さんとは繋がりを持っていたので、或る時彼女が勤めているという会社を訪ねたことがありました。
その時彼女から一枚のレポートを見せられ「これ、英訳してくれはらへん?」と言われて持ち帰り、専門用語の単語を引きながらやっと出来上がって持って行きました。
後で聞いた所によると、その英訳は無茶苦茶だったらしく役には立たなかったそうです。


その5

お婆さんの家にはもう一人、工場に勤めている数子さんという人が隣の部屋を借りていました。とても気さくで気持ちよくつきあうことができました。

他に部屋だけを借りて時々休みに来る会社員の男の人もいました。
その人は私に次々プレゼントをくれていたので、母が来たとき、それ相応のお返しをしたようでした。
それ以後はプレゼント攻めに合うこともなく、何事もなく過ごすことができました。


数子さんがある男性とのことで大変な思いをして、夜逃げ同然の引越しをしたのは一年ほど経ってからです。
夜中に両親が来てトラックで荷物を運んで実家に帰ってしまいました。
その後に一人残った私はお婆さんの関心の標的となり、又厄介な事態になりました。

お婆さんは何もかも私に頼ってくるようになりました。
そればかりか私のことを何かとふれ回るようになり、そのことが私の耳にも入ってきました。
お婆さんの束縛に怖くなった私は一年先輩の知合いに頼んで、彼女の近くのアパートに入居することになりました。

ところがここでも大変な事態に遭遇したのです。

私は勉強以外にはすることもなく病身とあって、夜は九時過ぎに寝る毎日でしたが、隣に部屋を借りていた女子学生が毎晩夜中の2時に友達を数人連れて帰ってきたのです。
その度に目が覚めた私はここでも眠れなくなりました。

その学生は小柄な色の黒い、どうみても美人とは縁遠い子でしたが、人当たりの良いキャラで人気があったようです。一緒に騒いでいる連中は良い人ばかりではありましたが、私としてはこれでは身がもたなくなると思い母に相談した所、自分の友人に手紙を書いてくれました。

その方は独りで医院を経営しておられました。
私は大通りに面した診察室の二階の六畳間を貸してもらえることになりました。

引越しの時は、騒音を撒き散らした隣の学生軍団が総出で手伝ってくれたことには感激しました。騒音には耐えられるようになっていた私ではありましたが、卒業までの二年間をそこに居つくことができました。


その6

梨子さんがその部屋を訪ねてきたのは、引越しをして間もなくのことでした。
大学三年生の時は四年間の中でもっとも苦しい一年でした。

初めは一人で借りていた二階でしたが、軽音楽部で知り合った西本さんが家を探しているということで、隣の部屋を貸してもらえるように頼み引っ越してきました。
大柄で色白の彼女は入学時のおかっぱ頭の女の子からすっかり素敵な女性へと変身していました。軽音楽部で披露するときにはハワイアンのドレスを着てウクレレを弾きながら歌いました。

彼女からギターの手ほどきをうけて私もコードを覚え、夜になると二人で裏のベランダで色々な曲を口ずさみながら弾き語りをしました。
夕方には一緒に田圃の道を散歩したり銭湯に行ったり、彼女とは一度もトラブルもなく楽しく共同生活ができました。
その他で授業が一緒の友人は学部に編入した4人だけだったので密な付き合いをし、微妙な所でストレスを感じながらのしんどい生活でした。

そんな折、梨子さんが訪ねてきました。

彼女は恋人ができたとうれしそうに報告しとても輝いていました。
相変わらず優しくてゆったりとした雰囲気でした。
私も再会できたことをとてもうれしく思いました。

しばらく話した帰り際に「明日の夜、家へ来いへんか」と言い残して立ち去りました。
夜にわざわざあの家まで行くのは私にとってはあまり気の向くことではなかったので、迷った挙句とうとう行きませんでした。

梨子さんと約束をしていたことが気になり、翌朝早くに彼女の家を訪ねました。
今まで入ったことがない裏口から彼女の部屋に入りました。
私がその家に居た時にはそういう部屋があることには気がつきませんでしたが、広い畳の部屋でした。

部屋に入ると、まだ布団が敷きっぱなしになっていて、布団の上には脱いだパンティが投げ出され、卓上には飲みかけのグラスが置きっぱなしになっていました。

私は見たこともない意外な光景に唖然としました。
夕べこの部屋で何があったのだろう。
ぼんやりした私にもおおよその想像はつきました。
もし私が昨夜ここへ来ていたら、どうしようと思ったのだろうか。
この家に来ていたのは彼女の恋人だけだったのか。
私までも経験したことがないようなことを強いられていたのではないだろうか、と思ってしまいました。

そのことがあって以来、私はその家を訪れることもなく、梨子さんと会うことはありませんでした。


その7

卒業間近になってご挨拶に伺った時、家主のお母さんがいらっしゃいました。
梨子さんは結婚してアメリカに住んでいるということでした。
素敵な彼女のことだから、ご主人とアメリカで幸せに過ごしているのだろうかと想像しながら帰ったのが最後の思い出となりました。

後から思えば、クリーニングに出していたジャケットが梨子さんの箪笥から出てきたこと。
水着とバスタオルが姿を消したこと。
預けていたメダルが消えたこと。

下村さんが口走っても私は信じていなかったこと・・それは時々遠くから電話が掛かると出かけて体を売っていたということ。
自分には信じられない彼女のブラックゾーンがおぼろげに分かったような気がしました。

でも彼女は私を前にして少しの濁りも見せず、いつも優しい笑顔で励まし続けてくれました。
私は彼女がこの世のどこかで幸せに暮らしていることを今でも想像しています。
幼くして母親を亡くした梨子さんの哀しい生き方だったのかもしれません。

                

スポンサーサイト



2012. 09. 15  
「心模様」


胸さわぎのあとに
よろこびが訪れる

喜びのあとに
わびしさが訪れる

賑やかな
この心模様

なぜなの?

2012. 09. 15  
「四万十川の青春」


日本一の
清流四万十川

透き通る水面の
白いしぶきの中に

ボクサーパンツのまま
飛び込んだきみ

白い川砂を踏んで
長い脚がつけた足跡

早くおいでよ
振り向いて弾けた笑顔

追いかけて
腕を絡ませて

いつまでも一緒ね
きっとよ

今もときめいている
この胸の中に



--*--
「清流四万十川」笹峰霧子



2012. 09. 15  
「赤い糸」


赤い糸が
細くなったり
太くなったり

そのたびに
ブランコのように
ゆらゆら揺れて

涙が毀れたり
笑顔が弾けたり

でも

ながーいながーい
糸は

ずっとずっと

いつまでも
切れないよ

魂があの天空で
結ばれてるのだから




「赤い糸」
2012. 09. 15  
「念じる」


人は忘れたいと願えば
必ず忘れることができる

人は愛したいと願えば
永久に愛することができる

人は縁を繋ぎたいと願えば
末長く縁を繋ぐことができる

だから

人のねがいは
必ず叶えられることを
信じよう

そして

自分の中の心を
みつめていよう

良いとか悪いとか
それよりも

自分の願いを
みつけよう

運命は念じるままに
具現化される

いまのきみ
何を願っているのだろう